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三位一体と愛(三位一体の共同作業)(ヨハネ14:8-12)

三位一体と愛(三位一体の共同作業)(ヨハネ14:8-12)


私たちが先ほど使徒信条で告白した神様は三位一体です。父と子と聖霊について告白しました。私たちの信仰は私たちの中から出てくる信仰ではありません。 私たちの信仰は、私たちが信じる神様、すなわち父、子、聖霊様と繋がっていることで告白されます。三位一体の神様と繋がっていない信仰は「不信」であり、「迷信」です。

私たちの礼拝は、三位一体の主日である今日だけでなく、いつも三位一体の神様に捧げる礼拝です。 しかし、三位一体の神様に捧げる礼拝も、私たちの外から内側に来られる聖霊の内在によって、イエス・キリストに従って父なる神様に向かうものです。 例えるなら、私たちが進むべき道がイエス・キリストであれば、聖霊の神は道を照らす照明であり、その道の目的地は父なる神とその方の家です。つまり、私たちの信仰、そして私たちの礼拝はすべて三位一体の神様の助けを受けなければなりません。


1.愛の合作で一体である三位一体の神様

オリーブの実のあるゲッセマネの園で最後の食事をされた後、イエス様は「あなたがたのうちの一人が私を売ろう」と言われます。 その言葉を聞いた弟子たちは驚き、すぐに不安に陥ります。そこでイエス様は言われます。"あなたがたは心に心配するな"と。どんな状況でも、イエス様ご自身を信じなさいということです。

イエス様は、ご自分の父のもとに行かれると言われます。もともと来られたその場所に、自分を送ってくださった方に戻るのです。イエス様が父から与えられた戒めをすべて守って行かれるからです。 イエス様が父に行かなければ、私たちもそこに来ることができないのです。 しかし、まだ不安に陥っている弟子たちに向かって、イエス様は「わたしが道である」と言われます。わたしによらなければ、父に来る者はいない」(14:6)と言います。

イエス様が「父に行く人」ではなく、「父に来る人」と言われた表現に注目してください。イエス様がすでに父と一緒におられることを意味しています。本質上、父と息子が一つであることを実토されたのです。 そして7節に至っては、さらに爆弾宣言をされます。

"あなたがたがわたしを知っていれば、わたしの父も知っていたはずである。これからは、あなたがたが父を知り、また見たのである。"

ここには二つの命題があります。 イエスを知る者は父を知る」また「イエスを見た者は父を見た」。三段論法(三段論法)に適用するとどんな結論が出ますか?聖者と聖父は一つであるという結論が出ます。

理解できない弟子たちの中でピリピが尋ねます。

"主よ、父を私たちに見せてください、そうすれば信じます。"

もし私がその場にいたら、私もピリピのように尋ねたかったと思います。

この質問にイエス様はこのように答えてくださいます。11節です。

"わたしが父の内にあって、父がわたしの内におられることを信じなさい、そうでないなら、わたしが行うことによってわたしを信じなさい。"

信じることができないなら、「その行いで」信じなさいと言われます。 イエス様が行うその行いで」聖者と聖父が一つであることを知ることができるということです。


行っておられること

そうです。聖父は聖子を通して働いておられます。ヨハネの福音書5章17節に、イエス様は「わたしの父が今まで働いているので、わたしも働く」と言われました。 イエス様がなさることは、旧約聖書の神様がなさることなのです。ヘブライ民族を400年間奴隷のように扱ったエジプト帝国に10の災いを降らせたその神、紅海の海を切り開き、荒野に泉を出されたその神、約束されたカナンの地をアブラハムの子孫に与えたそのエホバの神が、今、イエス様の中で、イエス様と共にご自分の働きをなさるのです。


仕事というのは、性格と目的が一緒に含まれています。

行うその仕事には、行う者の性格と意志が込められています。皆さんが行う仕事にも、やはり皆さんの性格と意志が込められています。よく知られている例話です。

[例話] イタリアのローマにあるピエトロ大聖堂は1506年から1626年まで長い時間をかけて建築されました。昔、建築の現場にある枢機卿が石工たちを励ましに行きました。 枢機卿が大理石を磨いている三人の石工に質問をしました。 "あなたは今何をしているのですか?" その時、一人の石工がこう言いました。"一目でわかりますか? 私ができることはこれしかないので、この苦労をしています。" 別の石工にも同じ質問を投げかけました。 "あなたは今何をしていますか?" 彼は「家族を養うためにこの苦労をしています。"と答えました。最後に別の石工に質問をしました。 彼はこう答えました。 "私は今見ての通り、神様に礼拝する神の家を建てています。"と答えました。

同じ仕事でも、働く人の性格や意志が違うことがわかります。

日本は世界で仕事をたくさんする国として知られています。もちろん、日本より労働時間が多い国もあります。しかし、日本の場合、毎年過労による死亡者数が500人以上という悲しいニュースが伝えられています。現代人は本当に一生懸命働きます。死ぬほど働きます。その仕事にはどのような意味と目的が込められていますか?


神様がなさることは、神様の性質から発現され、その仕事は最終的に神様の聖さと栄光を表します。 そのなさることに父と息子の意志が同じなので、父と息子は同じです。

では、父と息子が共同で行われた「その事」とは何でしょうか。 十字架事件と復活事件に代表されます。この出来事に込められた神様の性質と御心は何でしょうか。 ヨハネの福音書3章16節によく現れています。

"神がこの世をこれほど愛し、独り子を与えたのは、彼を信じる者が誰でも滅びることなく、永遠のいのちを得るためです。"

父と息子が行うこと、共同の仕事の目的は何でしょうか。 滅びるべき者、死んだ者を生かすことです。 神父がご自分の中に命があるように、御子にも命を与えてそこにおらせ、その御子を信じる者は誰でも滅びることなく永遠のいのちを得ることができるようにするためです。


死者を生かすという父と子の共同の「その仕事」が成就するためには、聖子は自ら死ななければなりません。ヨハネの福音書12章24節です。

"わたしは真に真にあなたがたに言う、一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままあり、死ねば多くの実を結ぶ。"

イエス様が十字架の死、これが聖父と聖子の共同作業です。聖父と聖子の共同の働きは、人々を欺くためのごまかしではありません。 イエス様が十字架を前にして祈る時、汗が地に落ちる血の滴のようだと言われました(ルカ22:44)。

ルカ22:42「父よ、もし父の御心であれば、この杯をわたしから移してください。しかし、わたしの望みどおりに飲んで、父の望みどおりになりたいと思います。

聖子は自分の命を自ら差し出し、聖父は沈黙は承認されます。

イエス様が亡くなられたのは、誰かが命を奪ったからではなく、イエス様ご自身がなさったことです。 父と共になさったことです。

「わたしが自分の命を捨てるのは、それを取り戻すためであり、これによって父がわたしを愛してくださるからです」(ヨハネ10:17)。

また、「これをわたしから奪う者があるのではなく、わたしが自ら捨てる。わたしには捨てる権威もあり、また得る権威もあるので、この戒めはわたしの父から受けたものである」(ヨハネ10:18)。

聖父と聖子が共同されたこと、それは十字架の死です。 また、「復活」です。 落ちて腐った麦の実であるイエス様が再び生き返ります。父がその息子を死者の中からよみがえらせたのです。 この十字架と復活の共同の働き、咎と罪で死んでいた私たちを生かすために行われたことです。


2.私たちの中に来られ、住まわれる三位一体の神様

聖者イエス様と父なる神様の合作で成し遂げられた共同の仕事、すなわち十字架と復活は私たちの外で行われたものです。 私たちのために行われた仕事ですから、私たちの中に入ってきて私たちの所有物にならなければなりません。 そうして初めて、父と子の合作が完成されるのです。

では、どのようにして聖父と聖子の工作された仕事が私たちの所有物になることができるのでしょうか。 この仕事を私たちの中に完成させる方がおられます。そうです、そうです。それは聖霊様です。ヨハネの福音書14章16節に、

"わたしが父に求めれば、父がもう一人の助けをあなたがたに与え、永遠にあなたがたと共にいてくださる。"

18節の御言葉を見ると、イエス様は弟子たちを孤児のように見捨てず、再び来られると言われました。 そして、私たちを受け入れて、ご自分がおられるところに私たちもおられると言われました。 そこはどこでしょうか? 神様の御座の右側です。 では、信じた瞬間、私たちが今そこに行くのでしょうか? いいえ、私たちが行く前に、イエス様が先に私たちを迎えに来てくださいました。

いつ、どのように来られるのでしょうか。 それは聖霊の中でです。20節です。

「その日、わたしが父のうちに、あなたがたはわたしのうちに、わたしがあなたがたのうちにあることを、あなたがたは知るであろう」(ヨハネ14:20)。

聖霊が私たちの中に宿るとき、私たちは「父と子の居場所」になるという言葉です。イエス様は昇天され、あの天の国に私たちが住む処を用意してくださり、聖霊様は信者の中に降臨され、聖父と聖子の処を準備してくださいます。 そうして、私たちの中に聖父と聖子が来なければ、聖父と聖子が共同された十字架と復活がその目的を成し遂げ、完成されます。

天はおろか、この地上でさえ苦しんで迷う聖徒の皆さん、天地の主が私たちの中に来ておられます。聖者イエス様のおかげで、天地の主権者である神様が私たちの父になりました。私たちは神の子となりました。 信じますか? 大胆になってください。肩を伸ばしてください。勇気を持ってください。

イエス様が世界に広がる汚い悪の勢力を十字架で打ち破られました。聖霊が私たちの中に来られ、イエス様の十字架が私たちの十字架となり、イエス様の復活が私たちの復活となりました。

私たちに聖父と聖子の共同の仕事である十字架と復活を信じさせ、悟らせ、その事実を私たちのものとして所有するようにされること、それが聖霊がなさることです。 ですから、この方は「真理の霊」なのです。イエス様は、私たちが父に向かう道であり、真理であるのです。この真理を受け取って父に導かれる方が、真理の霊、聖霊の神様です。


3.三位一体の神様が私たちに宿れば、私たちは互いに愛します。

20節を見ると、「その日には、わたしが父のうちに、あなたがたはわたしのうちに、わたしがあなたがたのうちにあることを、あなたがたは知ることができる」と書かれていますが、これは、私たちの中に父と息子がおられるかどうかを知ることができるということです。 あなたの中に父と子と聖霊がおられますか?

どのように知ることができるかが21節に書かれています。

"わたしの戒めを守る者がわたしを愛する者であり、わたしを愛する者はわたしの父に愛され、わたしも彼を愛し、彼にわたしを示すであろう。"

罪人にとって「戒めを守ること」と「人を愛すること」は断絶されます。しかし、イエス様には「戒めを守ること」と「人を愛すること」は区別されません。 神を愛することと隣人を愛することは区別されません。 主の戒めを守ることは神を愛することであり、また隣人を自分の体のように愛することです(マタイ22:37-40)。

23節に、「人がわたしを愛するなら、わたしの言葉を守る」というのはどういう意味ですか? 戒めは強制や束縛ではないということです。 このような主の戒めを守る者になるためには、まず神様の愛を受けなければなりません。

ヨハネによる福音書1:4:19 私たちが愛するのは、主が先に私たちを愛してくださったからです。

私を愛せば、私の言葉を守る」という言葉は、「神の愛を受けた者」が「今こそ、神を愛し、隣人を愛することができるようになる」という言葉です。

つまり、聖霊の住処となった者だけが父と子の愛を受けることができ、そしてその愛を受けた者だけが「愛することができる」、「愛するようになる」ということをおっしゃいます。


咎と罪で死んだ私たちを愛し、生かすために、聖父と聖子が私たちの外で十字架と復活の働きを共同でされました。 そして、聖霊の神様は、この共同の働きが私たちの中に所有され、完成させました。 これが三位一体の神様がされたことです。 この働きがあなたの中で完成されたことをどのように知ることができますか? シンプルで明確です。神を愛し、隣人を愛することです。

12節の御言葉を見てください。イエス様は弟子たちに、わたしを信じる者は、わたしがしていることを彼もするだろうと言われました。 主がされたこと、父を愛したこと。 私たちを愛したそのことを、「愛の授与者」である私たちもすることになるということです。


教父アウグスティヌスは、三位一体の神を愛というテーマでこう説明しています。父は聖子を愛する方、聖子は父に愛される方、聖霊は愛そのもの。

今日の御言葉を通して、三位一体と愛がどのように関係しているのかご理解いただけたと思います。


먹고 사는 일에도 여유가 없어서 간신히 살아가고 있는皆さん、忘れないでください。皆さんは三位一体の愛の授与者です。三位一体は、あなたのために行われたその働きが、今、あなたの中で、あなたと共に継続されることを望んでおられます。

皆さんは、自分が行うことが三位一体の仕事となるように、聖霊の助けを求めてください。聖父と聖子が私のためにしてくださったことを、私もできるように助けを求めてください。そうすれば、聖霊の力が満たされるでしょう。アーメン。

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