小さな能力でも(黙示録3:7~13)
はじめに
2004年、アジアを襲った津波被害の復興のためのチャリティーオークションに、あるエレキギターが出品されました。 このギターは、なんと270万ドル、日本円で約3億円で落札されました。 このギターはなぜこんなに高価だったのでしょうか。 そのギターには、世界的に有名なギタリストたちの直筆サインが入っていたからです。 一見落書きのようにも見えるサインですが、ギターの価値が数十倍、数百倍に跳ね上がったのです。
最近の若者の間では「インフルエンサー」という言葉をよく耳にします。ソーシャルメディアで多くのフォロワーを持つ影響力のある人たちで、中には自分の名前で写真一枚をアップするだけで、数千万ウォンの収入を得る人もいます。グループBlackpinkのジニという歌手は、投稿1つにつき8億ウォンを超える広告収入を稼ぐそうです。 名前一つの価値がこのように膨大なものなのです。
韓国のことわざに「虎は死んで皮を残し、人は死んで名前を残す」という言葉があります。多くの人が自分の名前が有名になることを望みます。 しかし、自分の名前を広く知らせる人はごくわずかです。
もしかしたら、皆さんの中に「私も自分の名前を広く知らせたい」と思っている人はいますか?いや、「広く」まではいかなくても、できるだけ多くの人に自分の名前を覚えてもらいたいという思いを持って、一生懸命生きている方もいるのではないでしょうか?
今日私たちが一緒に見ていくビラデルフィア教会はどうでしょうか。 この教会は当時、大きく知られた教会でもなく、大きな業績を残したようには見えません。 しかし、イエス様はこの小さな教会に特別な関心を示されました。 もっと驚くべきことは、イエス様がこの教会に自分の新しい名前を与えると約束されたことです。
今日の御言葉を通して、私たちはこの小さなビラデルフィア教会がどのようにしてイエス様にそのように貴重な存在になったのか、そして彼らの姿から私たちはどのような教訓を得ることができるのか一緒に見てみましょう。 私たちもこの時代のビラデルフィア教会になることができるでしょうか?一緒に御言葉を通してその秘密を探ってみましょう。
II. ビラデルフィア教会の状況
私たちがビラデルフィア教会を理解するためには、まず彼らが置かれていた状況を知る必要があります。 この教会がどのような環境の中で信仰を守ったかを見ると、彼らの信仰がどれほど素晴らしいものであったかを実感できるでしょう。
ビラデルフィアは紀元前189年頃に設立された都市で、その名前は「兄弟愛」という意味を持っています。この都市は、フリジア、リディア、ミシアの境界に位置しており、「開かれた門」の役割を果たしました。 つまり、東方にヘレニズム文化を広める前哨基地としての役割を果たしたのです。 このような地理的特性は、教会にとってチャンスであり挑戦でした。
しかし、ヴィラデルフィアは絶え間ない試練に直面していました。まず、この地域は地震が非常に多く、特に西暦17年の大地震は都市を完全に破壊し、その後も余震が続きました。 皆さん、想像してみてください。いつ崩れるかわからない家で暮らすのがどんな心境なのか。このような不安定な状況の中でも、ビラデルフィア教会は揺るぎない信仰を示しました。
経済的にもヴィッラデルフィアは困難に直面していました。 この都市の主な産業はブドウ栽培とワイン生産でした。 ところがAD92年、ドミティアヌス皇帝がブドウ園削減令を出します。帝国全体のブドウ園のうち少なくとも50%を廃止する命令でした。 これはヴィッラデルフィアの経済に致命的な打撃を与えました。 多くの人々が生計を失い、教会の聖徒たちも大きな困難を経験したことでしょう。
ここに宗教的な圧力もありました。一方ではユダヤ人の迫害があり、他方ではローマ帝国の皇帝崇拝の要求がありました。ユダヤ人は自分たちだけが神の民だと主張してキリスト教徒を排斥し、ローマ帝国は皇帝を神として崇拝することを強要しました。 この小さな教会は両側からの圧力に耐えなければなりませんでした。
このような状況の中で、ビラデルフィア教会は「小さな力」を持った教会でした。 サイズも小さく、社会的な影響力も大きくなかったでしょう。 しかし、これから見ていくように、この小さな教会は主の目には非常に貴重な存在でした。
兄弟姉妹の皆さん、私たちも時々、ヴィラデルフィア教会のような状況に陥ることがあります。私たちを取り巻く環境が不安定で、経済的な困難が訪れ、信仰を守ることが難しい圧力が来ることがあります。しかし、ビラデルフィア教会を見て、私たちは勇気を得ることができます。どんな状況の中でも信仰を守ることができることを、たとえ小さな能力であっても、主にとっては貴重なものであることを。
III.イエス様の褒め言葉:小さな力、大きな忠実さ
それでは、イエス様がヴィラデルフィア教会をどのように評価されたかを見てみましょう。 ヨハネの黙示録3章8節をご覧ください。
「見よ、わたしがあなたの前に開かれた門を置いたが、それを閉める者がない。わたしはあなたの行いを知っている、あなたは小さな力を持っていてもわたしの言葉を守り、わたしの名を裏切らなかった。」
イエス様はこの小さな教会の3つの特徴を褒めておられます。
第一に、「お前が小さな能力を持っていても」と言われます。これはビラデルフィア教会の現実を認める言葉です。 彼らは本当に小さくて弱かったのです。 しかし、イエス様はこれを恥じることなく、むしろその小さな能力で成し遂げたことを褒めてくださいました。むしろ、その小さな能力で成し遂げたことをより高く評価してくださいました。
第二に、「私の言葉を守って」と言われます。10節ではこれを「私の忍耐の言葉」と表現しています。ビラデルフィア教会は困難な状況の中でも最後まで主の御言葉を守りました。 彼らは安楽や世俗的な成功の代わりに、苦難と逆境の中でも主の御言葉に従う道を選びました。
第三に、「私の名を裏切らなかった」と言われます。 当時、ローマ帝国では「シーザーは主である」と告白しなければ、大きな困難を経験しました。 しかし、ビラデフィア教会はイエス様の名前だけを主に告白しました。 彼らは世の中の圧迫と誘惑の前でもイエス様の名前を否定しませんでした。
愛する聖徒の皆さん、私たちも時々、私たちの能力が小さすぎると感じる時があります。世の中の圧迫と誘惑の前で揺れる時もあります。しかし、ヴィラデルフィア教会を見てください。 彼らは小さな能力にもかかわらず、最後まで主の御言葉を守り、主の御名を裏切らなかったのです。 そして、主は彼らのその小さな忠実さを大きく見てくださいました。
私たちもできます。私たちが持っているものが小さくても、私たちに対する挑戦が大きくても、最後まで主の御言葉を守り、主の御名を高める人生を生きることができます。 そしてその時、主は私たちの前にも誰も閉じることのできない開かれた扉を置いてくださるでしょう。 私たちに対する主の愛を明らかに示してくださるでしょう。
これが、小さな教会でしたが、大きな賛美を受けたビラデッフィア教会の秘密です。 そして、これが今日、私たちがこの御言葉を通して学ぶべき教訓です。
IV.イエス様の約束:小さな教会への大きな祝福
愛する聖徒の皆さん、今、私たちはイエス様がヴィラデルフィア教会に下さった驚くべき約束を見ます。 小さな教会でしたが、彼らが受けた祝福は決して小さいものではありませんでした。
まず、イエス様は彼らに**「ダビデの鍵**」を持っている方としてご自身を紹介します(7節)。これはメシア的権威を象徴しています。ダビデの鍵を持つ者は、神の国の扉を開閉する権限を持ちます。イエス様はこの権威で、ビラデッペヤ教会の前に「開かれた扉」を置きました。
この「開かれた門」は何を意味するのでしょうか。 これは神の栄光の国に入る門です。 この門は誰でも入ることができず、イエス・キリストの名を持つ者、イエス・キリストの血で罪を赦され、忍耐して最後まで勝利する者だけに開かれた門です。 出エジプトの時、紅海の海がイスラエルの民には開かれたが、ファラオとその軍隊には閉ざされたようにです。
皆さん、これがどれほど大きな祝福か分かりますか? 小さな教会に神の国への道が開かれたのです。 彼らの能力は小さかったですが、彼らの前に開かれた栄光は無限でした。私たちも同じです。私たちがイエス様の御名で進むとき、どんな力も私たちの前に開かれた神の国の扉を閉じることはできません。
第二に、イエス様は彼らに**「冠」を**約束されました(11節)。「あなたがたが持っているものをしっかりと握って、誰もあなたの冠を奪わないようにしなさい"と言われました。 この冠は、最後まで耐える者に与えられる救いの完成であり、最終的な報酬です。驚くべきことは、この冠が未来のものだけでなく、現在すでに彼らが持っているということです。 彼らはすでに勝利者であり、永遠の命の相続人であるということです。
第三に、イエス様は彼らに「神の神殿の柱になることを約束します(12節)。「勝利した者は、私の神の神殿の柱となる。...私が神の名前と...新しいエルサレムの名前と私の新しい名前をその上に記す。」 神殿の柱になるということは、神の国で永遠に揺るぎない位置を得るということです。
皆さん、この約束の意味を考えてみてください。地震の脅威の中で生きていたビラデデルの人々に「揺るがない柱」になるという約束がどれほど慰めとなったでしょうか。 さらに、その上に神の名前、新しいエルサレムの名前、イエス様の新しい名前が記録されるそうです。 これは、彼らが神様に完全に属し、天の国の市民権を得て、イエス様と最も親密な関係を結ぶことになるという意味です。
第四に、何よりも最も恵みのある約束は、「私があなたを愛していることを知らせる」という約束ではないでしょうか。 9節を見ると、「私があなたを愛していることを知らせる」とあります。これは単なる感情的な愛の表現ではなく、神の契約的な愛、すなわち神の民に対する変わらぬ忠実さを意味します。
世の中では彼らは小さくて弱かったのですが、神の国では彼らは最も尊敬される立場を得ることになったのです。 このすべての約束は、ただビラデッフィア教会だけのためのものではありません。 これは、今日の私たちにも当てはまる約束です。私たちがたとえ小さな力であっても、最後まで主の御言葉を守り、主の御名を裏切らなければ、私たちもこの栄光の約束の相続人になるのです。
V. 現代教会に与える教訓
愛する聖徒の皆さん、ビラデッフィア教会の話は2000年前の昔の話ではありません。 今日、私たちに与えられる生きている神の御言葉です。 今、私たちがビラデッフィア教会を通して学ぶことができる教訓を一緒に分かち合いましょう。
第一に、**教会の大きさや外的な能力よりも重要なのは、忠実さです。**ビラデルフィア教会は「小さな能力」を持っていましたが、主の御目には貴重な存在でした。 彼らは自分たちの不足に挫折することなく、できる限りの最善を尽くして主に忠誠を尽くしました。私たちの教会も同じです。 もしかしたら、私たちの教会が他の教会に比べて規模が小さい、財政が潤沢でない、影響力が不足していると落胆していませんか? しかし、主はそのようなことを見ません。主は私たちの忠実さを見ます。私たちに任されたことにどれだけ忠実であるかを見ておられるのです。
第二に、困難の中でも守るべき信仰があります。ビラデルフィア教会は地震の脅威、経済的困難、宗教的迫害の中でも信仰を守りました。私たちも多くの困難を経験しています。パンデミックによる不安、経済的な圧迫、世俗化された社会の誘惑などがあります。 しかし、このような状況の中でも、私たちは「主の御言葉を守り、主の御名を裏切らないように」しなければなりません。 これが、ビラデデッラ教会が賞賛された理由です。
第三に、私たちはすでに勝利者であるという事実を覚えておくべきです。 イエス様はビラデッフィア教会に「冠」を約束されました。 しかし、この冠は将来受けるものではなく、すでに彼らが持っていたものでした。私たちも同じです。私たちはすでにキリストの中で勝利者です。世の中は私たちを失敗者と見るかもしれませんが、神様の目には、私たちはすでに勝利者です。 このアイデンティティをしっかりと握ってください。
第四に、私たちは「開かれた門」を通過する資格があることを覚えておくべきです。 イエス様はビラデデッフィア教会の前に開かれた門を置きました。 これは神の国に入る門です。私たちにもこの門は開いています。私と皆さんが入るこの開かれた門は、世界のどんな力も、どんな勢力も開閉することができません。 私たちは、イエス・キリストの血によってのみ、この門を通る資格を得ました。 これが私たちの確信であるべきです。
最後に、私たちは神の名を持つ者であることを忘れてはなりません。 イエス様は、ビラデヘラヤ教会に神の名前、新しいエルサレムの名前、そして自分の新しい名前を与えると約束されました。これは私たちの究極の所属とアイデンティティを表しています。私たちはこの世界に属する者ではなく、神に属する者です。新しいエルサレム、すなわち神の国の市民権者です。 そして、イエス・キリストと最も親密な関係にある者たちです。
愛する聖徒の皆さん、私たちは今、どのような状況にいますか? もしかしたら、周りの人や世の中と比較して自分の能力が小さすぎると感じていませんか? 経済的な困難と疎外感に疲れていませんか? ビラデデッフィア教会を思い出してください。彼らは小さかったが忠実で、弱かったが最後まで主の名を守りました。 そして主は彼らに大きな祝福を約束してくださいました。
結論:神様とイエス様が所有する教会
愛する聖徒の皆さん、今日、私たちはビラデッフィア教会を通して貴重な教訓を学びました。 今こそ、この御言葉を心に刻み、私たちの人生に適用すべき時です。
ビラデルフィア教会は、サマナ教会と共に叱責されなかった教会でした。 彼らは有名なサデデ教会とは違って、小さくて知られていない教会でした。 しかし、イエス様は彼らを大切にされました。 なぜでしょうか? それは、彼らが主の御言葉を守り、主の御名を裏切らなかったからです。
教会の規模や名声が重要なのではありません。 どれだけ多くのことをしているかが重要なのではありません。 最も重要なことは、私たちが本当に主のための仕事をしているかどうかです。 外見上は主の仕事をしているように見えますが、主が完全なものを見つけられない教会、サデデ教会のように叱責を受ける教会にならないようにしなければなりません。
主の御言葉を守ること、それがまさに主が望んでおられることです。主の御言葉は「忍耐の御言葉」です。ビラデルフィア教会は多くの困難の中でもこの御言葉を守りました。私たちも同じです。世の中は私たちを誘惑し、脅かすかもしれません。しかし、私たちは最後まで忍耐して主の御言葉を守らなければなりません。
ところで、皆さん、ビラデルフィア教会が受けた最も大きな祝福が何であるか知っていますか? それは**、主の愛です**。主は彼らに「私があなたを愛していることを知ってもらおう」と言われました。 この言葉より慰めとなる言葉があるでしょうか。 私があなたを愛していることを私が確認させてあげる!」この約束こそ、私たちが受けることができる最大の祝福です。
ユダヤ人のシナゴーグは「サタンのシナゴーグ」と呼ばれましたが、私たちの教会は主の名前が刻まれた主の教会です。聖徒の皆さん一人一人も同じです。どこかに主の名前が刻まれています。
世界中で子供たちのおもちゃとして愛されている「レゴブロック」を皆さんはご存じでしょう。 このプラスチックブロックを組み合わせて様々な形を作り出すことができます。レゴは、「ヤングアンドリュービカム」が調査した世界で最も認知度の高いブランドリストで、コカ・コーラ、ディズニーと並んで上位にランクインしています。2010年、20~40歳の成人3,000人以上を対象に実施された広範な調査でも、レゴは「史上最も人気のあるおもちゃ」に選ばれました。毎年、数十億個の新しいブロックがレゴの工場から溢れ出ており、創業から60年経った今でも膨大な販売収益を上げています。ご覧の通り、レゴのブロックはとてもシンプルな形をしています。 長方形のブロックの上に8つの突起が8つ付いていて、下に3つの空のシリンダーがあります。これだけです。 だから当然、安い類似品もたくさんあります。 それでも人々はもっと高価なレゴを買います。 なぜでしょうか?
シンプルで小さく見えるこの小さなブロックでも、品質と精度が違います。超精密射出成形技術を使って0.01mm以内の誤差で製作され、すべてのブロックが正確に噛み合うようになっています。ブロックの下のチューブと上の突起(スタッド)が組み合わされると、強い結合力を発揮します。'クラッチパワー'という技術でブロック間の摩擦力を調整することで、しっかりと結合しながらも簡単に分離することができます。ABSプラスチックを使用しているので、長い時間が経っても変形しません。 そして何よりレゴの「メリット」は、すべてのレゴブロックが互いに互換性があり、無限の組み合わせが可能だということです。 そのため、レゴブロックユーザーは耐久性と結合力で簡単に類似品と区別することができます。もっと簡単にレゴブロックを類似品と簡単に区別できる方法があります。それはレゴの突起(スタッド)に0.1mm以下の深さで非常に小さく精密に刻まれた「LEGO」を見れば分かります。ABSプラスチックの特性上、このロゴは鮮明で摩耗に強く、長い時間が経っても「LEGO」であることを識別することができます。
教会と聖徒には、イエス・キリストの名前が刻まれているそうです。ユダヤ人たちは自分たちこそ祝福された神の民だと騒いでいました。 しかし、彼らはサタンに属する者たちでした。 教会は主の名前が刻まれた主のものです。
その名前が刻まれた者たちに、主は「私があなたを愛していることを確認させてくれる」と約束されました。
私たちに刻まれた主の名前が私たちの価値を保証します。私たちの能力が小さく見えても、私たちは主の名前で何でも作り出すことができます。
小さな能力でも、主の名前のために生きましょう。小さな能力でも、主から賞賛されることができます。小さな能力でもダビデの鍵を受け取ることができます。小さな能力でも開かれた門を許されることができます。小さな能力でも主の御言葉を守ることができます。小さな能力でも、主の名にふさわしい人生を生きることができます。
今日、この御言葉を通して、私たち全員がビラデッフィア教会のような忠実さを持てるようになることを願います。私たちの名前が世に知れなくても構いません。ただ、私たちの名前が主の命の本に記録されていることを信じて生きましょう。 そして、いつか主が私たちに「私はあなたを愛している」と言われるその日を願って生きる私たち全員がなることを主の御名によって祝福します。アーメン。
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