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御国が臨み、御心が行われるために

御国が臨み、御心が行われるために

本文:マタイによる福音書 6章10節

導入

大学受験のために学生たちが試験場で問題を解いています。時間があまり残っていません。どんな問題も、いくら問題を見ても答えが分からず、時間はどんどん過ぎて行きます。

その時突然「チーン!」試験終了を知らせる鐘が鳴りました。監督官が叫びます。「時間終了!ペンを置いて答案用紙を提出してください!」ところが、ある学生たちはまだ半分も解けていません。続けて書こうとしたところ、監督官が近づいて来て言いました。「学生さん、鐘が鳴りました。もうこれ以上書くことはできません。」

皆さん、これがまさに今日私たちが置かれている状況です。洗礼者ヨハネとイエス様が叫ばれました。「悔い改めよ、天の国は近づいた!」ところが私たちの翻訳では「近づいた」となっていますが、原来のギリシア語は完了時制です。「すでに到着した」という意味です。

言い換えれば、神の国の試験の終了ベルがすでに鳴ったということです。メシアの時代がすでに到来しました。もうこれ以上延ばす時間はありません。今すぐ答案用紙を提出しなければなりません。

ところが問題があります。私たちは果たして正しい答えを書いているでしょうか。今日私たちが共に見る「御国が来ますように。御心が天で行われるとおり地でも行われますように」という祈りでその答えを見つけてみましょう。

本論1:御国が来るとはどういうことか?

神の国は統治権である

皆さん、まず理解しなければならないことがあります。神の国が来るということが何を意味するかということです。マタイによる福音書で核心用語である「天の国」は「天と国」が合わさった言葉です。実際、天と国は互いに同じものを指しています。まさに天におられる「私たちの父」です。

ここで国とは「バシレイア」ですが、これは単純な土地を言うのではありません。王がいて王が統治するところを言います。神の国が来るということは神の統治が成し遂げられるという意味です。

切迫した臨迫性の意味

「悔い改めよ天の国は近づいた」という洗礼者ヨハネの叫びには臨迫性があります。近づいたという単語が完了時制で使われます。「すでに近くに到着した」ということですね。

実際に天から神の国を持ってイエス様が来られました。イエス様がこの地に来られたのは神の「国、統治」を持って来られました。これは「未来」を指し、やがて完成を意味します。終末が始まったのです。

イエス様の生涯が示した神の国

御子イエスは、ご自分の全生涯をその方が属する神の国の方式に従って生きられました。受肉と苦難と十字架の死、そして復活、昇天と再臨の出来事などを通して、イエス・キリストはその方の国がどのような所かを示してくださいました。

旧約聖書にダビデとゴリアテの話があります。巨大なゴリアテがイスラエル軍を嘲笑し挑戦した時、幼いダビデが出ました。人々はダビデを嘲笑いました。「あの小さな子がどうやって巨人に勝つというのか?」

ところがダビデは言いました。「お前は剣と槍と投げ槍で私に向かって来るが、私は万軍の主の御名によってお前に向かって行く!」結局ダビデが勝利しました。なぜですか?ダビデは自分の力ではなく神の統治の下で戦ったからです。

これがまさに神の国の方式です。世の基準と完全に違います。神の愛で互いに愛し合い、イエス様のように他人のために犠牲になること、このようなことが起こる所に神の国がすでに来たと言うことができます。

本論2:最も先に征服されるべき領域

御国が来る時に起こること

神の国が来るということはイエス様の再臨を意味します。したがってこの祈りを捧げる人はイエス様の再臨を待つ人です。この地に対する最終的審判と教会に対する救いを待つ人です。

また神の国が来るということは、この地の国々が征服されるということを意味します。二つの国があることはできません。神の国が来る時に、この地のすべての国々は滅び、教会は完全になるでしょう。

私の心の王座で誰が統治するのか?

それでは質問を投げかけてみましょう。天の神の国がこの地を征服する時に、最も先に征服されるべき領域はどこだと思いますか?まさに私たち自身でなければならないという事実を知らなければなりません。

愛する兄弟姉妹の皆さん、皆さんは神の統治の下にありますか?その方の国に属していますか?

私たちがイエス様を信じて教会に通っているが、依然として神が治める人でないなら、言い換えれば、イエスを信じる前のように自分の欲心と頑固さと判断が自分を治めているなら、神の国が完全に成し遂げられていないと言うことができるのではないでしょうか?

この祈りを真心から捧げることができる人

この祈りを真心から捧げることができる人は、明らかに神の国を慕って自分のものを失った人です。それで自分の本郷、天を慕います。

そしてただイエス様が、ただ聖霊様だけが神の国が、その方の統治が私の内で成し遂げられるようにしてくださることができることを信じてこの祈りを捧げます。「御国が来ますように」最も先に征服されるべき領域はまさに私自身だという事実を覚えましょう。

本論3:神をかかしの王にしてはならない

本当の王とかかしの王

「御心が天で行われるとおり地でも行われますように」と祈る時に、ここでの御心は誰の御心を言うのでしょうか?はい、もちろん神である父の御心です。

したがって「御国が来ますように」と祈る人は自分の国を壊さなければならないように、「御心が地で行われますように」と祈る人も同様に自分の意志をすでに壊さなければなりません。

歴史を見るとかかしの王たちがいました。王の座に座っているが、とても幼いか無能で王の母や親戚たちが王の役割をしたり摂政をする時がありました。そのような時は王は王ですが何の実権もありません。本当の王だと言うことができません。

私たちは神をどのような王としてお迎えするのか?

もし祈る度に堅固な自分の意志と意思を維持したまま祈るなら、これは神の王権が実際には成し遂げられないようになります。つまり実際には神が王ではないのです。

王の御心が記録されて全ての民に広がり、民たちがその御心を受け入れて従順する時、その「王であること」が明らかに現れるようになります。

皆さん、もしかしてこのような祈りをしたことがありますか?「神様、私がこの仕事をしようと思います。成功させてください。祝福してください。」すでに私がすべてを決めておいて神様には印鑑だけ押してもらうようにするのです。それでは誰が本当の王ですか?私です。神はかかしの王になってしまいます。

本論4:天と地を結ぶ私たちの役割

天から地への過程

したがって私たちはここで「神の御心が天で行われたとおり」という表現に注目しなければなりません。成し遂げられる過程があるという話です。

天では誰によって神の御心が成し遂げられたでしょうか?天の使いである天使たちです。彼らはいつも神の御心に喜んで従順します。夜昼従順します。完全に従順します。それで神の御心を天ですべて成し遂げてきて今も成し遂げています。

地で神の御心を成し遂げる主役たち

それでは聖徒の皆さん、地では誰によって父の御心が成し遂げられるでしょうか?まさにイエスを信じて神の民となった私と皆さんによって成し遂げられます。つまり私たちがこの地で神の御心を成し遂げて行かなければなりません。

本当にこの祈りが普通ではないという事実が実感されませんか?これまで皆さんが「御心が天で行われるとおり地でも行われますように」と祈る度に、どれほど形式的にこの祈りを捧げたかを考えてみてください。

聖霊に満たされた生活の必要性

愛する聖徒の皆さん、神の御心が地で成し遂げられるのに私たちが用いられるという事実を喜んでください。私たちはその方のしもべです。天使のように忠誠し、従順してください。

聖霊なしには私たちは天使どころか神の敵のように行動するようになるでしょう。だから聖霊に満たされることは必須です。聖霊の人だけが肉体の欲を拒んで神の御心を成し遂げるのに用いられます。

聖霊は私たちの内で「イエスが主人である」と信じて告白するようにしてくださいます。聖霊がその内になければどうなるでしょうか?自分が王です。自分の意志どおりにすべて決めておいて祈ります。聖霊がなければ神はかかしの王であり、しもべです。

しかし聖霊の人は神のしもべとして謙遜に神を王としてお迎えし、神の御心を奉じて生きて行きます。私の国ではなく神の国の興隆のために実践します。

本論5:御国が来て御心が成し遂げられるために私たちがすべきこと

個人的次元:私の人生の王座から降りよ

それでは神の国が来て神の御心が成し遂げられるために私たちは何をしなければならないでしょうか?

まず私自身から始めなければなりません。私の心の王座から降りなければなりません。毎日朝このように祈ってください。「神様、今日私の人生で神が本当の王になってください。かかしの王ではなく本当の王になってください。」

すべての決定を下す前にこの質問を投げかけてください。「この仕事が神の御心ですか?それとも私の意志ですか?」「この仕事が神の御名を高めますか?それとも私の名前を高めますか?」

家庭的次元:私たちの家庭が神の国の前進基地となれ

私たちの家庭が神の国の小さなモデルにならなければなりません。家庭から神の御心が成し遂げられなければなりません。夫婦関係で、親と子の関係で神の統治が現れなければなりません。

家庭は神の国の前進基地です。ここで神の愛を学び、赦しを学び、仕えることを学びます。そしてこれを世に拡張して行くのです。

教会的次元:私たちが神の国拡張の主役となれ

教会は神の国の一部です。まだ完成した姿ではありませんが、神の国の一部として天の神の国の原理がそのまま作動する領域です。

神の御心が地で成し遂げられることは、不安に見えても私たちの教会と聖徒たちを通してなさいます。私たちがまさに神の国拡張の主役です。

伝道と宣教を通して神の国を拡張しなければなりません。救済と奉仕を通して神の愛を実践しなければなりません。しかし必ず覚えてください。このすべての仕事が神の御名を高めるためのものでなければなりません。

社会的次元:この地に神の正義と公義を実現せよ

私たちは世の中で神の国の価値を実現しなければなりません。職場で、事業で、すべての社会的関係で神の御心が成し遂げられるようにしなければなりません。

正義に生き、公義を実践し、弱い者を助けなければなりません。これが神の国がこの地に来る具体的な方法です。私たちは神の国の市民として、この世で違う方式で生きなければなりません。

終末論的次元:完全な神の国を望んで生きよ

私たちはイエス様の再臨を望んで生きなければなりません。その日に神の国が完全に成し遂げられるでしょう。しかしその日まで私たちは怠惰に待つのではありません。積極的に神の国拡張に参与しなければなりません。

結論

三つの祈願の相互関連性

私たちは今日まで主の祈りの前半部を見ることになりました。「御名が聖とされますように、御国が来ますように、御心が天で行われるとおり地でも行われますように」

この三つの祈願は互いに緊密に結ばれています。一つの祈りが次の祈りに続きます。これは一つの祈りで失敗するなら他の祈りに進むことができないという意味でもあります。

この事実は三つの祈願の順序を逆に変えれば明らかに分かることができます。神の御心ではなく私の意志を固執するなら私の人生は神の統治領域と関係なくなるのです。そして私の意志は神の御名ではなく私の名前を高めるので「御名が聖とされますように」という第一の祈りが成立しません。

時間があまり残っていない

愛する聖徒の皆さん、試験終了ベルがすでに鳴りました。メシアの時代がすでに到来しました。決定しなければならない時間がすでに来ました。もうこれ以上延ばすことはできません。今すぐ私たち各自が神の国拡張の主役にならなければなりません。

今日からこのように決心してください:「神様、私がまず神の統治を受けます。私たちの家庭が神の国の前進基地になるようにしてください。私たちの教会が神の国拡張の主役になるようにしてください。この社会で神の正義と公義が実現されるようにしてください。そして完全な神の国を望んで生きて行けるようにしてください。」

聖餐との結び

愛する聖徒の皆さん、しばらく後に私たちは聖餐を分け合うことになります。聖餐はまさに天と地が結ばれる神秘的な瞬間です。天におられる私たちの主がこの地に来られて私たちのために体を裂かれ血を流されたその愛を記念する時間です。

聖餐のパンと杯は神の御心が天で成し遂げられたとおり地でも成し遂げられる具体的な証拠です。イエス様が天の父の御心に完全に従順なさって十字架で死なれることによって神の国がこの地に来ました。

私たちが聖餐を受ける度に私たちもイエス様のように神の御心に従順しようと決心するのです。御国が来て御心が成し遂げられるためには、まさに私たち各自がイエス様の生涯を見習って神の御心に従順しなければなりません。

聖餐を通して私たちは天の糧を受けます。そしてその力でこの地で神の国の働き人として生きて行きます。これがまさに天と地が結ばれる恵みに満ちた瞬間です。

最後の挑戦

御国が来て御心が成し遂げられるためには、まさに私たちが動かなければなりません。もうこれ以上傍観者として生きることはできません。私たち各自が神の国拡張の主役にならなければなりません。

皆さん一人一人がまさに神がこの地でご自分の御心を成し遂げられる通路です。天使たちが天で神の御心を成し遂げるように、私たちがこの地で神の御心を成し遂げなければなりません。

試験終了ベルが鳴りました。今すぐ答案用紙を提出してください。御国が来て御心が成し遂げられるためには、まさに今、まさに私たちが始めなければなりません。

祈りましょう。

祈り

天におられる私たちの父よ、今日み言葉を通して私たちがどれほど貴い存在であるかを悟らせてくださって感謝します。私たちを通してこの地で神の御心を成し遂げて行かれるという事実に感激します。

まず私たち各自が神の統治を受ける者になるようにしてください。私の意志ではなく神の御心が成し遂げられる人生になるようにしてください。私たちの家庭と教会と社会が神の国の拡張基地になるようにしてください。

しばらく後に聖餐を分け合い主の体と血を記念する時、天と地が結ばれる恵みを体験するようにしてください。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

 
 
 

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