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작성자 사진rlxonorg

感謝で受ける恵み

최종 수정일: 11월 24일

感謝で得られる恵み(ヘブル13:15)

小見出し: イエス様の感謝に参加する恵み

ヘブライ人への手紙13:15 ですから、私たちはイエスによって、いつも賛美のいけにえを神にささげましょう、これはその名を証する唇の実です。

1.はじめに

2001年、心理学者のロバート・エモンズ博士は自分の著書「Thanks! How the New Science of Gratitude Can Make You Happier」(How the New Science of Gratitude Can Make You Happier)には、「感謝」という感情が実際に人間の人生にどのような影響を与えるかを調べるために、刑務所の受刑者を対象にした興味深い実験の話が書かれています。

エモンズ博士は受刑者を2つのグループに分け、最初のグループには毎晩、その日の出来事をそのまま記録するようにしました。 第二のグループには特別な課題を与え、一日中に感謝すべきことを最低3つ見つけ、それを書き出すようにしました。

最初にこの課題を与えられたとき、ほとんどの受刑者は笑ったそうです。

「刑務所で何に感謝しろって言うの?」

「鉄の檻の中で何を感謝しろというのですか?」

何で俺が感謝する必要があるんだ? 世の中が俺に何をしてくれたんだ...」と怒る人もいました。

しかし、実験は続きました。10週間という時間が経つにつれ、感謝日記を書いた受刑者たちに驚くべき変化が現れ始めました。 最初は無理矢理探していた感謝のタイトルが、次第に自然に見つかるようになったのです。

ある受刑者は、「今朝、窓の隙間から差し込む日差しがありがたかった」、別の受刑者は「食堂のおばさんがいつもより少し多めにご飯をくれた。母親が面会に来た時、私の手を握ってくれたことに感謝」「今日初めて被害者の家族を思い、涙を流した。こんな気持ちになれたことに感謝する。

研究が終わった後、感謝の日記を書いた受刑者たちは口をそろえてこう語りました。"初めて気づきました。 私がどれだけ多くのことを当たり前に思っていたか...この息をしていることさえも感謝すべきことだったこと...そして、私が他の人から奪っていたものがどれほど貴重なものだったか...初めて気づきました。

エモンズ博士がこの研究を通して、感謝できない心がいかに人間を深い闇に導くか、逆に感謝する心がいかに人の魂を回復させるかを科学的に証明したのです。

この研究が私たちに教えてくれることは何でしょうか?感謝は単なる礼儀や良い習慣を超えたものであり、人間の魂を生かし、回復させる力があるということです。


2.世俗的な感謝の理解と限界

今日、現代社会はこのような「感謝」の価値を知り、その価値を非常に強調しています。心理学者は、感謝がうつ病を予防し、幸福感を高めると言います。企業は従業員の士気向上のために感謝ノートを書くことを奨励し、学校では人格教育の一環として感謝日記を書かせます。

感謝は人と人との関係を深め、お互いを理解し、思いやりの心を育みます。先ほどの研究でも見たように、感謝は人間の心を変化させる強力な力があります。私たちクリスチャンも、このような世俗的な意味での感謝のポジティブな価値を認めなければなりません。

しかし、このような世俗的な感謝には明らかな限界があります。

第一に、世俗的な感謝はしばしば「道具化」されてしまいます。「感謝すると幸せになる」、「感謝すると人間関係が良くなる」、「成功の秘訣は感謝である」など。このように、感謝はあまりにも簡単に他の目的のための手段に転落してしまいます。感謝が自己啓発の一つの方法として扱われるのです。

第二に、世俗的な感謝は条件付きです。良いことがあるときだけ感謝し、状況が悪くなるとその感謝は簡単に消えてしまいます。コロナパンデミックの状況で、私たちはこれをはっきりと見ました。 多くの人々が以前から掲げていた感謝の条件を失ったとき、彼らの感謝も一緒に消えてしまいました。

第三に、最も根本的な限界は、世俗的な感謝が「自己中心的」であるという点です。自分に良いことがある時、自分が欲しいものを手に入れた時、自分が幸せな時だけ感謝します。


3.キリスト教的感謝の本質

では、聖書が言う真の感謝とは何でしょうか。

私たちクリスチャンは、この世の誰よりも多くの感謝をしなければなりません。 なぜなら、より多くを受けた者だからです。 しかし、クリスチャンの感謝は、世俗的な感謝とは本質的に異なります。何が本質的に違うというのでしょうか?

私たちクリスチャンの感謝は、イエス・キリストの感謝に基づきます。聖書を見ると、イエス様が感謝の祈りをささげる姿をよく見ることができます。

五千人を養う前に、五つのパンと二匹の魚を持って感謝の祈りをされました。そして、最も驚くべきことは、十字架につけられる直前の最後の弟子たちとの晩餐会でも感謝の祈りをされたということです。

愛する聖徒の皆さん、この瞬間を深く黙想してみてください。

このすべての瞬間、イエス様の感謝は誰に向けた感謝でしたか? それは、神様父のみへの全幅の 信頼と従順の感謝でした。父がご自分の思い通りになるように、ご自分自身を父の手に完全に差し出す感謝でした。

皆さん、これは何を意味するのでしょうか。 イエス様が感謝するたびに、イエス様は実はご自分の命を父に捧げているのです。

パンと魚の前での感謝は、ご自分の肉と血を差し出すことを予告する瞬間でした。ラザロの墓の前での感謝は、ご自身が死に勝って復活されることを予告する瞬間でした。最後の晩餐での感謝は、実際に自分の死を受け入れる瞬間でした。


皆さん、なぜこれが世の人々が決して理解できない感謝なのか分かりますか?

世の中の感謝はいつも「得るもの」に対する感謝です。しかし、イエス様の感謝は「失うこと」に対する感謝でした。 自分の命を失うことで、私たちの命を得ることに対する感謝でした。

世の中の感謝はいつも「持つ者」の感謝です。しかし、イエス様の感謝は「すべてを差し出した方」の感謝でした。

「彼が豊かな者として私たちのために貧しくなられたのは、彼の貧しさゆえに私たちを豊かにするためです」(2コリント8:9)。

世の中の感謝はいつも「条件付き」感謝です。しかし、イエス様の感謝は、死の場でもされた「無条件」の感謝でした。十字架を前にしても「私の望みどおりに、父の望みどおりにしてください」と言われたその感謝でした。

これがまさに私たちが捧げる礼拝の本質です。私たちの礼拝はまさにこのイエス様の感謝に参加することです。


3.本論:クリスチャンの感謝の本質

愛する聖徒の皆さん、これから私たちがクリスチャンとして実際にどのように感謝を捧げるべきかについてお話ししたいと思います。

クリスチャンの感謝は二つの次元で行われます。

第一に、私たちの感謝は「受けたことに対する感謝」です。

第二に、私たちの感謝は「受けたことに対する感謝」です。

この驚くべき真理を深く黙想してください。

1.まず、私たちクリスチャンがすべき感謝は「受けたことに対する感謝」です。私たちは神様から何を受け取りましたか? 数え切れないほど多くのものを受け取りました。 しかし、その中で神様が私たちに下さった最高の贈り物は何でしょうか? そう、イエス様を私の主として受け取ったことが最高の贈り物です。

コロサイ2:6 だから、あなたがたはキリスト・イエスを主に受けたのですから、その中で歩みなさい。

私たちはイエス様を私の救い主として迎え、罪と死の権勢から永遠に解放され、永遠の命を得ることができました。世の人々は決して知ることができない、だからできない感謝、すなわち私たちがイエス様を救い主として受け取ったことに対する感謝を神様に捧げることです。


2.第二に、私たちクリスチャンがしなければならない感謝は「受けたものとしての感謝」です。これが今日の説教の核心です。

イエス様より神様に心から感謝した人はいません。 イエス様の感謝は何だったのでしょうか? 「私の望みどおりにしてください、父の望みどおりにしてください」でした。 イエス様の感謝はどこに向かったのでしょうか? 自己を否定し、自己の十字架を背負い、父の御心に従順するその道でした。私たちは神様に感謝すると言いながら、十分の一の献金も惜しみます。 しかし、イエス様は感謝の祈りをされるたびに自分を神様に捧げた方です。

イエス様の感謝は、神様に対する無限の信頼に基づいています。 人生の主導権を神様に委ねた人は、「心配の祈り」ではなく、「感謝の祈り」を捧げるようになります。

愛する聖徒の皆さん、私たちは父なる神様に完全な感謝をささげたイエス・キリストの感謝に参加します。

そのためには、父なる神様の御心と計画に対する無限の信頼を持たなければなりません。 自分の人生の主導権を捨てなければなりません。私の意志を否定し、父の御心に私を委ねなければ、イエス様の感謝が生まれます。

私たちが受けたものは何ですか? イエス・キリストです! 私たちが持っているものは何ですか? イエス・キリストの感謝です! そして、この感謝は... 私たちの全存在を父なる神様の御心の前に差し出す完全な献身につながるのです!


4.結論

1948年、ルーマニア、リチャード・ウォンブラントという牧師が共産主義政権によって逮捕されました。 彼はキリスト教信仰を放棄することを拒否したため、なんと14年間投獄されました。

彼が受けた拷問は想像を絶するものでした。 熱い鉄棒で支えられ、氷で満たされた独房に閉じ込められ、絶え間なく殴打されました。 特に過酷だったのは、2年間の独房生活でした。太陽の光も音もない地下の独房で、彼は毎日23時間を独りで過ごさなければなりませんでした。

看守たちは彼を嘲笑し、「ここであなたの神はどこにいるのか」「あなたが信じるイエスはなぜあなたを救ってくれないのか」「イエスは共産主義の神である」という言葉を毎日繰り返すことを強要されました。

ウォンブラント牧師はその当時を思い出しながら、「苦難の時間」、「苦しい時間」とは言いませんでした。 むしろ、彼は「感謝の時間」と呼びました。 後で彼が書いた「刑務所での説教」と「キリストのための苦難」には、このような告白があります。

「私は毎日神様に感謝の祈りを捧げました。 拷問される時間にも感謝しました。 なぜなら、そのたびにイエス様が受けた苦難がより鮮明に理解されたからです。 私の苦しみは私の中でキリストの苦しみとなり、私の感謝はキリストの感謝となりました。」

さらに衝撃的な告白はこれです。

「独房で過ごした時間は、私の人生で最も美しい時間でした。 そこには何もありませんでした。ただイエスと私だけでした。私が持っていたのはイエス様の十字架だけでした。 しかし、それが私が必要としていたすべてでした。私はそこで真の感謝が何であるかを学びました。 それはイエス様の感謝に参加することでした。」

ウォンブラント牧師は、14年間の収監生活が終わった後、こう言いました。

「人々は私に」どうやってそのような状況で感謝することができたのですか"と尋ねます。 彼らは理解できません。私が感謝したのではなく、私の中のキリストが感謝したのです。 私が神の御心を信頼したのではなく、キリストが私の中でその御心を信頼したのです。"

愛する聖徒の皆さん、この感謝祭の週にどのような感謝を捧げていますか?

私たちも告白しましょう。「私が感謝するのではなく、私の中におられるキリストが私によって感謝されるのです。 私が神の御心を信頼するのではなく、キリストが私たちの中でその御心を信頼されるのです。」 これがクリスチャンの感謝です。

これがキリスト者の感謝です。 受け取ったことに対する感謝であり、受けたことに対する感謝です。 キリストの完全な感謝に参加する福の恵みが私たち全員にありますように。

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