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聖霊によって示された十字架の知恵(第一コリント2:10~16)- 要約版

序論

同じ十字架を見ても、ある人は「愚かだ」と言い、ある人は「神の知恵だ」と言います。なぜこのような違いが生まれるのでしょうか?その秘密はまさに聖霊様にあります。

1741年、ジョナサン・エドワーズ牧師が静かに原稿を読んだだけの説教で、聞いていた人々が涙を流し「イエス様、私を救ってください!」と叫びました。エドワーズ牧師は日記にこう記しました。「今日私がしたことは何もない。ただ聖霊様が働かれただけだ。」

これがまさに聖霊様の力です。聖霊様だけが十字架を神の知恵として見させることができます。

1. 同じ十字架、異なる視点:聖霊様が必要な理由

「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」(第一コリント1:18)

同じ十字架なのに見る人によって「愚かなもの」と「神の力」に分かれます。これは単純に考えの違いではなく、人そのものが変わらなければ十字架を違って見ることができないということです。

色盲の人にどんなに赤色を説明しても見えないように、聖霊様の助けなしには十字架を神の知恵として見ることができません。パウロは「私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした」(2:4)と言いました。

2. 聖霊様は「神からの霊」です

「私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。」(2:12)

聖霊様は私たちと同じ次元の存在ではなく、「神から」来られた方です。それで人間の限界を超越した働きをなさることができます。十字架を失敗と恥の象徴から神の知恵と力の象徴に変えて見させることは、ただ神の霊である聖霊様だけがなさることができる超自然的な働きです。

3. 聖霊様は「神の深いことまでも」ご存知です

「御霊はすべてのことを、神の深いことまでも探られるからです。」(2:10)

聖霊様は神についてのすべてを完璧に知っておられます。特に「神の深いこと」、すなわち十字架を通した救いの計画を完全に理解しておられます。世の知恵は表面的なことだけを追求しますが、神の知恵は十字架の恥の後ろに隠れている神の愛、弱さの後ろに隠れている神の力を見させてくださいます。

4. 神の心は神の霊だけが知っています

「人のことは、その人のうちにある人の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。」(2:11)

ある人の最も深い心は、その人だけが知ることができます。同様に神の最も深い計画と知恵は、ただ神の霊である聖霊様だけがご存知です。十字架の真の意味に対する鍵は聖霊様だけがお持ちです。

5. 聖霊様は最高の教師です

「私たちがこれらのことを話すときも、人の知恵によって教えられたことばを用いず、御霊によって教えられたことばを用います。」(2:13)

聖霊様は単純に新しい情報を与える方ではなく、「正しい解釈」をしてくださる方です。十字架の歴史的事実はすべての人に同じですが、その真の意味は聖霊様の解釈を通してのみ理解できます。聖霊様は十字架を神の愛と救いの計画という文脈で解釈してくださいます。

6. 見る目そのものが変わります

「生まれながらの人間は、神の御霊にかかわることを受け入れません...霊的な人はすべてのことをわきまえます」(2:14-15)

聖霊様の最も驚くべき働きは、新しい情報を与えることではなく、見る目そのものを変えてくださることです。「霊的な人」となるということは、聖霊様の観点から世界を見ることができるようになることです。この時十字架は失敗の象徴ではなく、神の愛と知恵を示す最高の表現として見えるようになります。

7. キリストの心を持つようになります

「しかし、私たちにはキリストの心があります。」(2:16)

聖霊様の働きの最終目標は「キリストの心」を持つことです。これはキリストの考え方、価値観を持つことを意味します。聖霊様を通してキリストのように愛し、仕え、犠牲することを最高の知恵として思うようになります。

8. 継続される聖霊様の働き

聖霊様の働きは一度で終わるものではなく、継続的な過程です。十字架を神の知恵として悟ることは、聖霊様の継続的な助けを通してだんだんより深くなります。私たちは毎日毎日聖霊様の新しい導きを求めなければなりません。

結論

ロンドンの弁護士フランク・モリサンは、イエス様の復活が偽りだということを証明しようとしましたが、研究すればするほどかえって復活が事実だという確信を持つようになりました。彼は告白しました。「私が変わったのは新しい証拠を発見したからではなく、同じ証拠が完全に違って見え始めたからです。聖霊様が私の目を開いてくださいました。」

これがまさに聖霊様の働きです。聖霊様が働かれると、同じ十字架が愚かさから知恵に、弱さから力に、失敗から勝利に見えるようになります。

愛する聖徒の皆さん、もし最近信仰生活が無味乾燥に感じられるなら、今がまさに聖霊様を新しく求めるべき時です。

毎朝「聖霊様、今日も私の心を開いて十字架を神の知恵として見させてください」と祈ってください。聖書を読む前に「聖霊様、このみことばを通して神の心を知らせてください」と求めてください。困難な時に「聖霊様、キリストの心で反応できるよう助けてください」と願い求めてください。

また一人だけの信仰ではなく、教会共同体と共に聖霊様の働きを経験し、聖霊様の力で十字架の福音を世に伝えてください。

聖霊降臨主日を迎えて、聖霊様が私たち一人一人の心に、私たちの家庭に、私たちの教会に新しく満ちて臨まれることを祈ります。日々十字架を神の知恵として見つめ、その十字架の愛で生きていく聖霊に満たされた聖徒となられますよう、主の御名によって祝福いたします。

 
 
 

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